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5月3日呉羽でのお茶会に参加しました。工藤さん、イケメンの息子さん、お嬢さんのおかげで、久しぶりのゆったりした気分にさせてもらいました。すぐにお礼を・・・と思いながら、ものすごく遅れてしまい、申し訳ありませんでした。5日に母(84歳、認知症を患い、私の事はすっかり忘れていた)が入院していた病院に出かけました。母は酸欠状態の金魚のような息をしてました。あれあれと思ってる間に、10分後に息を引き取りました。なんと、あっけない・・・その後のどたばたの儀式を終え、大分過ぎたんですけど、いろいろなこと引きずってます。この年になって母(加藤美智子)と私(加藤久美子)の関係、生まれた実家の事など・・・美智子さんは、久美子の母より、「加藤外松氏(フランス大使)の姪」というプライドで生きてきた人でした。実家(城道、いまは大手町)も、かなり複雑で、いろいろな事があり、特に昭和34年3月14日(私は中学1年)に起こった事件は、今でも心の中にしっかり残ってます。その後中学、高校と人には言い尽くせない苦労してきたな・・・(自分で言うのも変ですけど)と、考えているこの頃です。でも、客観的には元気です。まだ、この年で遊学館高校に勤めてます。ペーペーの非常勤講師ですけど。週16時間2年、3年の生物を受け持ってます。平成生まれの元気な子供達を相手に楽しんでます。今年の野球部、わりと強いですよ。
母のことを、こんな風に書いたんですけど、私もこだわってます。「外松氏は本当に事故死だったのか?」と。昭和17年フランスとドイツの狭間で日本の進むべき道の選択中にパリの自宅下の道路に転落死していたのは、本当に事故死だったのか。その事について、ご存知の方はいらっしゃいませんか?
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